スパイク ジョーンズは舞台美術(プロダクションデザイン)に

イデアのある人だと思う。もちろん映画も総合芸術のひとつだから、この一点だけで作るわけじゃないだろうけど。舞台美術にいちばん興味があるんじゃないかな。

こんなことを妄想するきっかけはHomePod(Apple)のPV。


HomePod — Welcome Home by Spike Jonze — Apple

雨の降る夜の舗道に行きかう人たち、込み合う地下鉄での帰宅、この時間はエレベーターも混んでいるね。ストレスの溜まる何気ない日常。自宅で迎えてくれるのはSiri。その選曲のおかげで身体性を発揮して、平穏な夜を取り戻すのでありました。といった内容。

興味を惹かれるのはこういったところ、

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雨(!)の街から自分の部屋に帰るまで、カメラは彼女の目線よりやや上にある。威圧的な構図。外の世界と彼女の心は雨のように冷たい関係。

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一連のマジックが始まる。きっかけは音楽に合わせて自然と動いてしまう身体。すでに彼女は歌い、演奏し、踊ってもいる。

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「指コチョコチョ」は「マルコヴィッチの穴」でいう「Fast Hands」に近い(手のひらの向きが逆だけど)。こういった身体性の演出は監督の好みなのか繰り返し使われる。

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「求む 手先の器用な者」。いずれも映画「マルコヴィッチの穴」より引用

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鏡のなかの分身と絡み合いながらダンスを始めるところから緊張関係にあった外の世界と感情が昇華されていく。

といったところですね。

彼女の感情と身体と部屋に響く音楽の間で少しずつ調和がとれていくところが舞台美術との関りでうまく表現できている秀作だと思う。

 

もうひとつのキーワードは身体性。または間身体性。

間身体性(かんしんたいせい)とは - コトバンク

 身体性の定義って難しいけど、身体を使った外界とのコミュニケーションといったところかな(解っているわけじゃないの)。身体はセンサー(五感)を持っていて自分の置かれている環境を認識する。同時に環境に働きかける運動能力も必要。これらを総合すると身体性になる(ってことじゃない)。

たとえば、人との会話(ノンバーバル要素が重要)、楽器演奏(指先から足先まで楽器と仲良く)、ダンス(相手と調和した動きを身体で覚える)、プールで泳いでいるときに水に包まれている感覚(湯船に入った感覚でもいいけど)、ピアノで和音を弾いて音が空気を振動させて部屋の壁に当たって反射した音を感じるとき、などなど。

人にとっては身体性によって外の世界とコミュニケーションを取り続けることが必要なんじゃないか。その結果、平和に暮らせるとは限らないけど。どのみち、物質世界だけにも精神世界だけにも生きられないしね。その中間のコミュニティで生活するしかないわけだから(このへんがAIと違うところだって皆が指摘しているね)。

で、舞台美術を上手く作り込むスパイク ジョーンズって「身体と外の世界は一体のもの」ということを表現するのが上手いと思う。「家族って難しい」ってつぶやく子供を取り囲むかいじゅうたちは彼が持ついくつもの感情と対になっていることを連想させる。自分の心にかいじゅうが住んでいるなんて悩まなくていいんだ。そんな気付きが子供に安心を与え成長させる。(「かいじゅうたちのいるところ」を観てね)


さて、このPVのメイキング映像がありました。振付師ジョーンズが現れます。


Spike Jonze Welcome Home - Apple HomePod Making Of From AdWeek - Behind The Scenes

全編VFXかと思いきや、アナログ部分もかなりあるようですね。ま、むかしは視覚効果もほとんどアナログだったわけで、アメリカの業界ではまだ職人が残っているのかな。(絶滅危惧種だろうけど)

セットのオブジェクトへの俳優の働きかけが、観客にエモーショナルな反応が起こるくらいの起爆剤となることがある。それはアナログなセットならではの効果じゃないか。CGと人間を合成すると、どうしてもその接点でエモーショナルが発火しにくくなるように思う。起爆剤になれる例としては、フレッド・アステアの「Ceiling Dance」などがあるね。かれはまだSiriを知らない。


Fred Astaire's Famous Ceiling Dance

「HomePod」ではもっと彼女とオブジェクト(環境)の直接反応があってもよかったかな。本編の1:54辺りの「お尻で壁ボン」はもっとエモーショナルにいけたんじゃないか?

このほとんどセリフがなくて音楽が付いているPV「HomePod」って、無声映画(サウンド版)に近くない? 「無声映画は『シネマ』の最も純粋な形式だと思う」って言ったのはヒッチコック*1。あ~、もう止めておこう。書き始めたときに心配したとおり、結局とりとめのない話になってしまった。 

*1:「映画術 ヒッチコックトリュフォー」(株式会社晶文社、1981年発行)訳:山田宏一蓮實重彦、より引用
※文脈に合わせて多少言い回しを変えています。スマン!
※原文は「サイレント映画(ピクチャー)というのは<映画>(シネマ)の最も純粋な形式だと思う。」